311に仙台市若林区にある荒浜小学校にて開催された
友人であり、ミュージシャンとして旦那の大先輩でもある
アイゴンこと會田さんがその企画に参加する事を知って
久しぶりに仙台、そして次の日に気仙沼を
家族で旅してきました。




震災以降
ここ、荒浜の地にも足を運びましたが
あんなにたくさんあった瓦礫たちも
ほぼ目にする事はなくなり、
この日は殺伐とした中に
祈りを捧げる人たちが次から次へと訪れる。

時間は確実に流れている
皆があの日をきっかけに
さまざまな想いを巡らせたことでしょう。

空高く舞い上がる
たくさんの想い。
夕方から會田さんも参加の野外ライブが行われ
皆、静かに耳を傾けました。
「野外」と分かっていたので
かなり着込んできたのにも関わらず
相当冷え込みが厳しく、
311、震災直後もこんなに寒かったのか、と
正直びっくりしました。

そんな中
温かいステージが
観ているわたしたちの心を包み込んでくれました。
終わって拍手がおこる中
「ありがとう!元気もらった!」
演奏者に向けて声をかける女性のキラキラした笑顔が
とても印象的でした。
次の日、
友人が住む気仙沼へ向かうのに
海岸からほど近い道路を選んで、ゆるりと駆け抜けていくと
津波でさらわれてしまった土地は
雑草たちに覆われて、
だだっ広い野原のように変わっていて。
日本三景のひとつとも言われている松島の辺りでは
海を覆い隠すように
防潮堤が着々と作られていた。
大津波から身を守るため
被災地では防潮堤を作る作らないの議論が上っている
そのウワサは前々から耳にしていましたが
海岸線を行き来する大きなトラックと、
工事をする人々
その後ろに
無機質に佇む防潮堤を目に
「身を守るって何だろう」
何とも言えない気持ちに包まれたのでした。
さて、この日は
震災を機に知り合った
気仙沼に住むよりえさんのご実家にお世話になりました。
今回も突然の連絡になってしまったのにも関わらず
わたしたち家族を温かく迎えてくれて
その夜は
おかあさんの手料理をたらふく頂きました。

ご飯を頂きながら
震災のこと、気仙沼の近況など
たくさん話しをしました。
今は引退してしまったけれど
昔、船に乗っていたおとうさんと
ここに来るまでに見た
防潮堤の話しもしました。
あんなもん、要らんのに。
聞くと、お父さんは
議会で誰よりもしつこく「防潮堤は要らない」と、
訴え続けているのだそう。
防潮堤を作れば
まず海藻が育たなくなる、
それを餌にしている魚
牡蠣やウニも育たなくなる。
食物連鎖がどんどん壊されるんだ。
ちなみに、海と土地を分断する巨大な壁を作るのに
市は20億の予算を確保しようとしているのだそう。
今なお
仮設で生活している人たちは山ほどいて
よりえさんもそのうちのひとり。
実は今回
彼女が住む仮設住宅に実際行かせてもらったのですが
家族4人が住むにはびっくりする程の空間で
正直とてもショックだったのです。
20億もかけて、壁を作る必要があるのか。
まず先に仮設に住む方々の住居の確保が大事なのではないだろうか。
単純に考えただけでも
答えは明白です。
うちの旦那さんがヘルマンとして最近作ったアルバム
NOISE(ノイズ)とは、騒音。
社会の中での不穏な音
例えば
少数派の声 なども意味しているそうなのですが
その声が
騒音にならないように、
皆でもっともっと声をあげて
社会を変えて行こうぜ!
このタイトルには
そんな想いが込められていると聞きました。
防潮堤は要らない。
しつこい程に声をあげているおとうさんは
残念ながら少数派だそうで
震災後わたし自身も
数々の自分の想いがマイノリティだったと分かり
打ちひしがれる事が多々ありました。
でも、
あの震災が気付かせてくれたこと
自然と共存しながら暮らす事の大切さを胸に
わたしたちの小さな声が
いつか大きな力となる事を信じて声をあげ続けたい
そう思っています。

「生かされている命」
実際に失った命を知っているよりえさんの言葉だからこそ
一層心に響きました。
改めまして
震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。